四の章  北颪
きたおろし (お侍 extra)
 



    外伝  昔がたり



        
終 章



 酷なことをしたものよと。事後報告にと訪うた先のお屋敷で、更紗の和装のお膝に小さな猫を抱えておいでの大将閣下は、しみじみとした声で仰せになられた。間近に夏を迎えているとはいえ、まだ少し気の早いことに、どこかで鳴く蝉の声がかすかに届く。風を通すべく雪見障子を開け放った居室には、真新しい畳のいぐさの香が青々しくも爽やかで。

 「何の話です?」

 そもそも、放埒の限りを尽くしていたあやつへ灸を据えるための画策だ。酷も何もないでしょうにというような言い回しを返したが、
「白々しいことを。」
 儂が言うておるのは、そっちの坊主への仕打ちのことじゃと。わざわざ言い逃れできぬように言い直されてから、
「すべてのからくり、話して聞かせたか。」
「はい。」
 くっきりと頷いた勘兵衛へ、そこまでも御存知の段取りだったか、

 「お主が手をつけたのも策のうちと、そうと知らしめたことにならぬか?」

 そのような仔細へまでも言を及ばせになられる。どういう耳目をお持ちな御仁か、副官に任じて傍らにおくだけでは足りずのそこまでする必要があるのかと、そうと運んだ中途の段取りを途中経過を報告したおりにも問われたが。その時に勘兵衛が紡いだは、
『誰彼かまわず親しみを結ぶという奔放な性分ではなく、真剣本気の情を結べば、ただ一人への操だてを守るような、それはそれは律義な子です』
 自分の後をついて回ったのは“副官”という職務のせいでもあったろが、仔犬のようにこちらを慕って懐く様の健気さや一途さから、そんな性であるらしいとはすぐにも知れたので。
『なればこそ。羞恥を押さえて戸惑いを見せ、なのに容易にはなびかぬ一途で強情なところがますますのこと、相手を煽ることとなるかも知れませぬ』
 などと。さも図りごとの上での効果を増さすために為したことだと言いたげに、もっともらしい言いようをして押し切った勘兵衛だったが。

 “果たしてそれのみであろうかの。”

 少なくとも何も知らない無防備なままでは不味いと、例えば…挑発を受けての喧嘩腰になったところを逆手に取られ、取り巻きがわざとに殴られでもして見せた上で。騒ぎを起こしたことが広まれば勘兵衛へも責任が及ぶぞなどと勝手な言いようを吹き込まれてのあっさりと、抗いの手を封じられ、易々と攫われてってしまいかねない。ならばいっそ、本人に多少なりとも自覚があった方が警戒も強まろうし、その身を大事にするようにもなろう。いきなり手出しした勘兵衛を拒めばそれもよしと…あまりの無防備を見かねての“無体もどき”を仕掛けた彼であったのかも。ただ、いっそ押し倒せと煽ったところ“それでは本末転倒”と眉を顰めていただけに、

 “単に、ミイラとりがミイラになったものか。”

 そもは人好きのする気性の男。無理をして塞いでいた他者への関心や気遣いを、こたびは思い切っての解放したがゆえ、それでなくとも無防備が過ぎる和子を案じるあまり、肩入れし過ぎてしまったのかも知れない。怖がるどころかますます懐いてきた護るべき相手へ心奪われて、策を弄する身であることを忘れてしまったか。いやいっそ堅く護らんとしてのこと、離し難しと強く抱きすくめてしまっても、それを詰
(なじ)ることが誰に出来よう。そしてそんな諸々へ、彼自身も気づいておらぬか、いやさ、そうまで案じてやったが末の処置だが、あくまでも大人が勝手に仕組んだ謀議として。そんな真意や誠意があったことまでもを、その胸へ秘しての黙して通すつもりの勘兵衛なのかと、
「………。」
 大将閣下もついのこと、痛々しいものを見るような眸をなさる。そもそもの運びは恐らく、七郎次の側からも意識を常にこちらへ据えるようにと図ったまで。押し倒してしまっては向こうの目論みと変わらぬからと、決して無理強いまではしなかったはず。それが、ああも色がついての妖冶な色香を滲ませるまでになったは、そっちの方面の謀りごとには不慣れだったがための、言わば計算外な事態があったに違いなく。そして、

  「確かに。策の上でのことと、悟らせたやもしれませぬ。」

 七郎次本人へそこまで具体的なところを説いてはなかったものの、察しのいい子だ、表には出さぬながらも気づいているのかも知れぬとは、勘兵衛にもまたしっかり予測の範囲であったらしい。是と応じたその語尾が消えぬうち、

 「故意にか?」
 「………。」

 すかさず訊かれたそれへ。どういう言い方をすればよいのかと、自分の胸の内を浚いでもしておるものか。戦略の周到さに比して、日頃のあれこれへは大ざっぱが過ぎるほどなこの男にはめずらしくも慎重に、一旦言葉を区切ってのそれから、

 「慣れぬ恋情に目が眩み、他が見えぬは危ないばかり。
  せっかく守った若き才ですのに、
  つまらぬ隙から早死にされては甲斐がないではござりませぬか。」

 自分へなどに気を取られ、命を落とすくらいならと。多少は傷ついてもいいから、頭を冷まさせたくてというよな言いようをする。それを聞いたご老体、ふむと骨張った手で自身の顎先を撫でて見せ、

 「………キサラギの二の舞いを、させとうはない、か?」

 今はただの頑迷さ。だが、昔は負けず嫌いでしゃにむだった彼を、よくよく知っている老将であるらしく。この企みを最初に聞かせたおり、そうまでして護ってやりたいとはどこのご子息ですかと、そんな身分の者だから守ってやるのかと暗に訊かれたそれへ。いやいや、平民と等しいほどとまではいかないが、ごくごく普通の中流士族の子だと告げたれば、
『……。』
 それはそれで何かしら、他へと引っ掛かるものでもあったのか。大将閣下が勘兵衛への何かしらまで、暗に構えていたらしきこと、先んじて勘ぐってのそれだろう。妙に感慨深げな沈黙を保っておった彼だったことを思い出す。贄としてちらつかせ、がっつり食いつかせてからそれをもって動かせぬ証左とし、相手を取っ捕まえても良かろうにと言い出すような…人を駒にし何とも思わぬような、情の無い奴ではないのは判っていたが。それと同じほど、自分自身への干渉を妙に拒むところが強いのも、相変わらずらしいと感じた老師。その折と同じよに、

 「……。」

 割り座して控えおる己れの膝頭を大きな掌で掴むようにし、それ以上は何とも応じぬ屈強な士官の、伸ばした蓬髪が覆う広い背中に、ガラス窓越し、初夏の陽が降りそそぐ。じっと当たっておれば熱いくらいの強さをはらみ、間近い夏を匂わせる陽光は、彼の副官殿の髪の色ともよく似ていて、今はまだ清かに澄んでおり。




  ―― そしてその副官殿は


 丁度同じ頃合いに、やはり待機中のお仲間、良親殿の元を訪ねていた。
「何も義務ではないのだぞ? それに、お前様はまだ若い。のちにどうでも配置が変わる恐れはあるというに。」
 それでもいいのかと何度も問われ、
「……はい。」
 さんざ迷ったその結果だと、形のいい唇をきゅうと噛みしめてのそれから、

  ―― 私にも、皆様と同じ“六花”をここへ彫って下さい。

 そのきれいな左手を差し出して、自分から言い出した彼だということを。勘兵衛様はまだ知らずにいたのである…。







  ◇  ◇  ◇



 全てへの幕引きとなった方の刃傷沙汰、破廉恥極まりない大騒ぎの、されど速やかで完璧な事態収拾の顛末を聞き。数カ月かけてという気の長さのそんなからくり、とある大将閣下からの思し召しの下に構えられた“コトの次第”であったと勘兵衛からあらためて聞かされて。何も知らぬままに花街なぞ引き回されていたならば、どこぞかでまんまとあやつらに引っ張り込まれての、自分もまた、その気の毒な元・下士官のような目に遭っていたかもという事実へ肩を震わせた七郎次が…ふと呟いたのが。やはり、
『…さようでございましたか。
 では、勘兵衛様が情けを下さったのも、私を護るための方策だったと。』
『七郎次?』
 何を言い出したものかと聞き返せば、いえ、私なんぞは大きな策の中の手駒に過ぎぬ身でございましたなと。自惚れてはいけませんねと、小さく小さく微笑って見せてのそれから。
『ですが、困りましたねぇ。私は勘兵衛様の寵童であると、公言されてしまった身。』
『? ああ。』
 今更それが何かしらの問題になるのかと、キョトンとなさった勘兵衛様だったのは。今にして思えば…勿体なくも すっかりと心許して下さっておればこそのこと。勇猛すぎてかそれとも、何かしら過去にあってのことか。あまり人とは関わりを持ちたがらぬ、冷淡なほど素っ気ないところもあるお人。だというに、随分と長いこと七郎次がそれと気づかぬままだったほどに、手を尽くしての見守っていて下さって。

  ―― 本当は義に厚いお人なのだと。判ってしまったからこそのこと。

 これからも変わらず、少々淡々とした扱いではあるものの、閨を共にする相手は我だけと、そうと決めて下さったのだと素直に享受できればよかったのに。それとも、

 “策の上でのお手つきでございましょう?と。
  いっそのこと、はっきり訊いておればよかったものを。”

 義理堅い方だから、それで。しょうことなしの関わりを、責任取ってののちのちまでも、続けてやろうと、そうと思っておいでなのかもという、小心な想いがつい、この胸を掠めてしまい。しかも…それを確かめるのが怖くって。義務からのことなれば、気遣いされずともと言えてのふっ切れもしただろし、もしかしての万が一、僅かにでもそのお心を傾けていただけるだけの存在として、お気に召されていたのであれば。それこそ至福と素直に喜んでいられたものを。

  ―― ほんの微かな引っ掛かりを、ならばと確かめなかった臆病さから。
      その慈愛のお情けを、却って曖昧な代物にしてしまった愚か者。

 それからの触れ合いが、どこかで冷めた想いが付きまとう代物と化してしまったのは言うまでもなくて。勘兵衛様の側でもお気づきになられたかどうかは、こういう方面へは疎い方なのであいにくと判らない。ただ、何を紡がれようときっと信じなかったかもしれず、だから求めはしなかった七郎次であり。約束も睦みの言葉も要らないと。それよりも、御主の癒しであれればいいと。そんな風に思うようになってしまった自分が、今更ながらに遣る瀬ない。

 “一体どこからが“策”で、どこまでが真のご誠意であったやら。”

 全て明かして、それ以上はのめり込むなと。熱くなるなと七郎次を突き放したのもまた、考えようによってはこのお人らしい優しさから出たことだろう。苦手な方面への芝居まで打つことで、自分までもが表立ち、贄にはせずに守ってくださった。たとえ誰か様からの指示がなくとも そうなされたことだろと自然と思えたほどに、根は誠実なお人と知っていながら、だからこそ縛りたくはなく。そんな言い方をして、その実、自分が傷つきたくはなかった、ただの臆病者だったことを今こそ思い知った七郎次であり。

 “そんなアタシじゃあ、敵いっこないじゃあありませぬか。”

 そんな自分に引き換え、刀を交えたい相手として出会い、雄々しくも孤高のサムライでしかないという、魂の本質を互いに認め合い。何も飾らぬ何も持たぬ身のままに、勘兵衛へ真っ向からぶつかろうとする久蔵殿の。自らにも無防備なまでに正直な姿の、なんと鮮烈高潔にして目映いことか。彼とても、その手で数多の敵を斬って来た身であろうに、迷いのない双眸に翳りは染まずの無垢なまま。傷つくのが怖いなどという損得を、考えたことなぞ一度たりともないに違いなく。ああ、そんなお人には どうで敵いっこないですねと、そんな感慨しか浮かばない。

 「七郎次?」
 「いえ…。」

 あの頃はまだ、こうまで性能のいいものはそれほど普及してはいなかった空艇の中。防音性能もいいものか、外の荒野を吹きすさぶ風の唸りも、一段ほど声をひそめて聞こえ。その分、船橋
(デッキ)の静けさが自分の戸惑いや迷いを責めるようで辛い。こんなところで何でまた不意に、意気地が無かったが故の取り返せぬこと、今になって思い出してしまった自分なのだろか。六花ともども失くしてしまった左腕と同じ、失われた時間はもはや取り戻せないというのにね。胸が詰まって、喉奥が痛む。勘兵衛様をと求めるお人、同じ魂をお持ちのお人とやっと巡り会い、向かい合って下さった御主であり。久蔵殿ごと幸せになってほしいのは、七郎次の本心からの想い。でも…こうまで理解し案じてもいたのにと、この御主をその屈折ぶりごとここまで理解している自分だのにと思えば、

  「…っ。」

 この手を延ばせなかった後悔が、今になって堰を切ったようであり。みっともなくの歪んだ顔へ、たまらず手を引き上げると口許を覆っての俯いてしまう七郎次であり。
“久蔵殿の不安を偉そうには言えないな。”
 見えない明日を不安がっている彼へ、保護者ぶって見守ってようなんて言えた義理ではないと。思った七郎次のうつむけていた額へと、こつり当たったものがあって。え?と視線を上げかけたお顔ごと、いやさ肩を掴まれての上背ごと。ぐいと引き寄せられたのが、
「…勘兵衛様?」
 ああ お変わりない。厚い肩の高さも背丈の対比も。大きくて持ち重りのしそうな強い手も、おとがいの線、お髭の陰も。島田隊へ入隊したのが成長期の終盤だったから、一緒にいる間にも結構背丈は伸びたはずで。実際、並べば大差は無いかも知れぬのに。この首元へとお顔を埋めると、こちらの表情を隠せるから。ああそうだ、肩へ額を擦り寄せては素顔を隠し、剽げる振りして本音や素の顔を誤魔化したものでしたっけね。
「…すみません。」
 あふれ出したものが止められず、今だけは後生ですからとすがりつけば。大きな手が懐ろへまでと頭を引き寄せて下さって。あの頃と同じように、肩を背中を抱いて下さった。遠い風籟にも紛れぬ嗚咽をこらえる彼を、ただただ宥めて受け止めて。何もかも御存知で、なのに…ぴしゃりと一線引いてしまわれた、そりゃあ狡いお人だったくせに。やっぱりあの頃とお変わりなくの、優しいお方でもあるのが憎らしい。誰かに聞いてもらわねば、慟哭もただの遠吠え。こんなところもある自分だと深い懐ろへと招いての呑んで下さったその上で、さあ前へお進みと背中を押して下さる、強いお人。


  ―― ですが…勘兵衛様。
      あまり久蔵殿へ、無理はさせないでやって下さいませね?


 世慣れてなくての融通が利かないだけじゃあない。負けず嫌いなお人だが、きっと生まれて初めての恋情だろうから。叩かれりゃ痛いとか、嘘をつかれりゃただただ口惜しいとか。そんな常識が、時に通らぬことがままある恋心の不思議を、全くの全然知らないに違いなく。

  ―― 私へそそいでくださった気遣いと同じほど、
      どうか寛容にいてあげてくださいませね、と。

 ほんのり赤くなった眸を上げて、やっと微笑った古女房殿であったのだった。





  〜 外伝・完 〜  08.4.29.


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  *既出の「雪月花」では、
   心揺れながらもふっ切れたような言いようをしていたシチさんですが。
   いくら大人であれ、
   捨て切れなかった想いを5年越しで暖めていたその相手、
   やはりそう簡単に断ち切れる想いではないんじゃないかと思いまして。
   そこで…何だかややこしい話で埋めてみました次第です。
   今ここに書いても詮無いですが、
   読まなくても本編に支障はないよう“外伝”としました。
   却ってごちゃついてしまいましたかもですが、
   どうしても書いておきたかったという立派な自己満足です、すいません。

  *ウチのシチさんは、どういう設定にしても、
   勘兵衛様へはどこか臆病者となってしまうようでして。
   あまりに好きが過ぎたから、
   袖にされたら粉々に心が砕けてしまいそうで怖いんでしょうね。
   そうまで好きにさせた責任、それこそ取ってもらやよかったのにね。

めーるふぉーむvv めるふぉ 置きましたvv

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